今日、考えていたこと。vol.7「VTuberとルッキズム」

私の趣味の一つに、ゲーム配信/実況を観る、というのがあって、それは10年前にニコニコ動画に張り付いていたころからの長めのもの。

古くはボルゾイ企画や幕末志士、つわはすや永井先生などなど、ゲーム実況界の黄金期を楽しく見ていた。

ゲーム実況界のみならず、インターネット動画コンテンツの最盛期が2012年くらいだった。

 

10年前からの趣味、とはいうものの、少しそういったものとは離れた時期があり、それが2016年〜2017年頃(多分)で、その時期にネット動画のシーンで何があったかというと、それはキズナアイ、さらにはVTuberの誕生があった。

 

当時はVTuberに対して多少の抵抗感があったのと、YouTubeニコニコ動画を見る習慣から離れていたというのもあり、イマイチブームに乗り切れなかったのを覚えている。

しかし、またそういったゲーム実況やゲーム配信を再び見るようになって、VTuberというものに抵抗が無くなった。VTuberを特殊なカテゴリではなく、ひとりの動画投稿者として見るようになった。

 

今では顔出しをする配信者、しない配信者、VTuber。それらの間に"活動上の"差異は感じず、帰属する正確に縛られず一個人の活動者として見ている。

 

ただ、一視聴者としてはその差異を感じずとも、違いというのはやはり色々と見えてくる。

 

そして、日々感じることは「VTuberルッキズムの関係」だ。

 

VTuberルッキズム、まるで関係が無いように思えるし、むしろそういったしがらみを排したコンテンツだと思う人もいるかもしれない。

私も最初はそうだった。

が、事実そこにはある。しかも、かなり根深くヤな形で。

 

前提として、VTuberには親と呼ばれる概念が存在する。

自身の提供する映像上に配置される2Dモデルのキャラクターデザインをする人がそれ。

名前が出たキズナアイで言うと、イラストレーターの森倉円氏が「親(基本的にはママと呼ばれる)」にあたる。

 

人気のあるVTuberのデザインは"基本は"美形で描かれる。

女性のVTuberなら可愛いらしかったり、男性だったらカッコよかったりで露骨さがある(たまに人間や人型ではなく、犬のような動物もいれば、穀物だっていたりもする)。

 

ネット上に自身の顔を晒すリスクを背負わなくても擬似的な顔出し(表情や動きを視聴者が見ることができるためアドバンテージになる)をすることを可能にした、という点が利点としては大きい。

だがその反面、活動者自身の容姿に依存せず、「容姿が良い」という部分を親によって担保されたことで、そういったルッキズム的観点を判断材料に"される"ことを拒否できた、といえる部分も少なからずある。

 

事務所に所属し、企業の運営の元で活動するVTuberは「企業V」と呼ばれる。有名な企業Vのグループでいうと、ホロライブ、にじさんじ、774.inc. 等がそれにあたる。

そのような企業(企業V)は積極的なメディア展開を行っている。

ラジオ番組を持ったり、テレビに出演したりと、インターネットの枠組みから離れて様々な分野で活動をするマルチタレント化していっている。

 

その中でも顕著なのが、音楽活動。

音楽活動、とは良く言ったもののもっと直接的な言い方をすれば、「アイドル売り」だ。

カバー株式会社が運営するホロライブは、初めからアイドル事務所であることを明示し、ボイストレーニングやダンスレッスンを徹底、コンサートも何度も行っている。

 

アイドルとして扱われる場合、そこには(一般的には)ルッキズムの障害が間違いなく存在する。

日常の雑談の中で、「この○○っていう人、アイドルなのにあんまり可愛くないよね」と言った会話をされたことはないだろうか。

アイドルにさほど興味のない人間からすれば、「アイドルとは一定の容姿端麗さが担保されている」と思い込んでいる人もいるはず。

そこに前述したVTuberは「容姿が良い」という部分を担保されている点とリンクする。

 

つまり、アイドルは容姿が良いものという固定概念があり、かつVTuberは容姿の良さが担保されている。アイドルVTuberはそういったビジュアルイメージから生じる壁がそもそも無く、もっと奥まで進んだ、パーソナルなキャラクター性などに触れることができる。

そういった意味で、ルッキズムから解放されながらも、同時にルッキズムに縛り上げられた状態で浮遊しているのが現状。

 

 

VTuberには前世と呼ばれる概念があり、それは常にVTuberファンの間での問題になっている。

前世とは、現在のVTuberとして活動を始める前のネット上での名前や活動歴のことを指す。

勿論ここでは、例の名前は出せないし、出さない。基本はタブーな話題だから。

 

VTuberを知らない人でも、なんとなくな肌感覚でタブー扱いは理解できると思う。

若手女優のデビュー前のTwitterの特定と同じように、パーソナルスペースを侵すような気持ちの悪さがそこにはあるからだ。

だがしかし、Twitterやらネット掲示板やらまとめサイトのコメント欄やらで四六時中、前世について語らわれている。

何故か。それは結局は顔が見たいからでしかない。

 

多くの著名なVTuberは、前世と呼ばれるものが存在する。

新たに活動を始めるVTuberを決めるとき、ネット配信をメインに行うことが織り込み済みのため、そういったソフトウェアの操作に慣れていたり、マイクやカメラなどの機材が揃っているような人の方が好ましい。

そこで、多くの場合は過去にニコニコ生放送ツイキャスなどの配信サイトで経験がある人が多く採用される。

そうなれば自然と、それまでの活動歴が前世と認定される。

そして、(一部の)ファンは血眼になり、その前世をネット上の隅々まで漁り、首をとったような顔で拡散をする。

 

 

検索エンジンVTuberの個人名を入力すれば、大体は「○○ 前世」とサジェストされる。

ファンからすれば、VTuberとしての彼らよりも、その画面の外側にいる個人にまで興味が行くことは当然ありえることだろう。

出来心で調べ、その人の素顔を認識する。

そして、こう言うのかもしれない。

「○○さんって、こんな顔だったんだ」と。

 

可愛らしかったり、端正だったりするVTuberのビジュアルと実際の顔写真が並べられ、否定的な発言や暴言が添えられていることなど、コミュニティに属していれば日常的に見かける。

自身の容姿にコンプレックスがあることが活動のきっかけになった人だっているだろうが、そんなものはお構いなく特定され、暴言を吐かれ、笑われる。

VTuber業界は決してルッキズムを排してなんかいない。むしろ、顔出しをしていない人(VTuber)と顔出しをしていない人(視聴者)だからこそ、暴力的で、過激で、差別的な思想が強く見える。

 

言わなくても自明だろうが、そんな刺々しいファン(と言っていいか分からないけど)はごくごく一部。

だけども、みんな画面の奥の顔を気にし、前世を認識している。