野暮用でとある街に出向いた。
都会的なビル群に商業施設と、昭和チックな匂いの残る下町情緒が混ざった、日本でも特に高い知名度を誇る街。
そこからちょっと西に歩くとエリアが変わった駅がある。
その駅と街の間にあるビルのピロティ的な場所に10人程度の人溜まりがあった。
通り道だったこともあり、その後ろを通るとそれは靴磨きだった。
その時、靴磨きというのを初めて生で見た。
モノクロの写真や、外国映画のワンシーンで見たことがあるような無いような、そのくらいのぼんやりとしたイメージしかなく、「2020年代にも実在するんだ」というのが初見の感想だった。
それらのイメージを培ってきた物の影響なのか、主な客層は品格漂う老紳士、という先入観があったが、実際には30〜60代までのビジネスマンが主なよう。
ここで第二の感想が浮かぶ。
「なんか偉そうだな」と。
もちろん、客と職人の間に金銭の取引があって、その上でのサービスであるのは自明だが、どこかぱっと見は客が偉そうである。
それが何に由来するのか。
それは職人の作業を待っている客がスマートフォンを弄っている、という光景にあったと思う。
これも完全になんとなくのイメージでしか無いが、靴磨きの客には新聞を読んでいてほしいという願望がある。
スマホぽちぽちではどこかダルそうで、ミスマッチ感がある。
当然画面は見ていないが、そのスマホでゲームなんかしていたら最悪かもしれない。
これも願望だが、革靴の状態を常に気にかけて磨いてもらう選択を取るような意識の高いビジネスマンは、街中でも(好奇の)目のつきやすい場所でスマホを弄ってほしくない。
出来るだけ最大公約数でカッコつけていてほしい。
朝刊新聞を読んだり、同じく隣で靴を磨いてもらっている同僚と雑談していたりしてほしい。
私自身、移動中や待ち時間などにスマホを触ることは常々だが、基本的にずっとペタペタ触る行為はダサいと思っている(だが世間からしたら、こんな七面倒くさい戯言をほざく人間の方がダサいだろうとも思う)。
この世には、その場所、状況には適した態度や行為があるはず。こうしていてほしいという理想もあるはず。
だが、そういった価値観は常にアップデートされ続ける。
灰皿を前にして、灰の出ない機械から水蒸気とニコチンを吸う喫煙者。
人が機械に金を払う無人レジ。
こんなものはせいぜい私の育ってきた環境によって積み上げられた常識に基づいて生まれた理想に過ぎない。
そして、私はこの文章を電車に乗りながら、スマホで書いた。