新旧問わない、最近の音楽視聴の雑記です。
最近といってもこういうのを初めて書くので今年ハマった音楽の話になります。
Twitterでフォローさせていただいている、音楽ブログを運営されている曙太郎さんのブログに感化されて書き始め、参考にさせていただいてます。そちらは弊ブログよりも密度の高い良内容の良ブログですので、みんな読むように。↓↓↓
『Sirènes』AMP (1996)
イギリスはブリストルのポストロック・アンビエント・シューゲイズユニット.AMPの2ndアルバム。
荒涼とか退廃とかの言葉が似合う異世界的でダークなシューゲアルバム。というか、彼らの当時の作品群の中だったら一番シューゲ色が強いのが今作。
アルバムの参加メンバーにはThe Third Eye FoundationのMatt Elliottだとか、MovietoneのMatt Jones、Philosopher's StoneのGareth Mitchellなどが名前を連ねていて、つまりそんな感じ。
メンツ的にもブリストル的にも、Flying Saucer Attackが好きな人にはオススメ。FSAも経由しつつ、ブリストルの当時の空気感みたいなものがビシビシ感じる。
あえてFSAと比較するならば、ボーカルの印象を薄めて、テクスチャーの構成に重視したアンビエント寄りの音響系といった具合。絵画とか写真、そういった芸術作品のタイトルが『ブリストル』や『シューゲイズ』だったら、その一枚絵の中ではこんな音楽が流れているだろうという所感。
ブリストルのサイケダリアよろしくなオリエンタルなエスノ系サウンドがあったり、サンプリングやフィールドレコーディングがあったりの中で、M9の『Eternity』にて突如ブレイクビーツが挿入される辺り、「あぁ、ブリストルだ...」と。
今年の頭くらいに仙台の15NOVでVinylを購入し、何度か聴いてるうちにめちゃくちゃハマりました。
『君と踊りあかそう日の出を見るまで』JAGATARA(1985)
JAGATARAの1985年リリースのライブ盤。
JAGATARAはこれまで基礎知識的な聴き方しかしてこなかったこともあり、「世間的な評価が高くて、確かにいい感じのバンド」みたいなぼんやりとしたイメージしか無くて、2019年末にサブスク配信が開始した時も「じゃあ南蛮渡来聴いとくか〜」程度だった記憶。
それで今年になって日本のサイケ、みたいなプレイリストを再生していたら流れてきた『タンゴ』のライブ版にぶっ飛び。
決して音質の良い録音では無いのに、会場の人たちの喉の渇き、ジャンキーの汗の異臭、室温の上昇が全て耳を通して見えてくる。私は共感覚を絶対に持ってないけど、無意識下の共感覚を司る器官が踊り狂ってるような気がする。
M5の少年少女がヤバくて、アカペラの「FUNKY PUNKY DISCO PUNK GO! GO!」だけで全身の筋肉の揺らぎが止まらなくなるし、フェードインするぶっといベースとホーンセクションの畝りでイルカンジ症候群並の血圧上昇。
イントロの勝鬨でアガるのは「少年少女」か「Blitzkrieg Bop」のどっちかしか無いじゃん!っていう。
その後もネット上のJAGATARAのライブ映像を見たりして、個人的な再評価をしたり。
電音部諸作
電音部は最初のミニアルバムのリリースが始まった頃から知っていて、その時からたまに聴いたり、新曲が出ればチェックする程度の距離感だったけど、Spotifyに全曲入りのプレイリストがあることを知り、そこから爆リピ。
メディアミックスプロジェクトということもあり、キャラクターを楽しんだり、声優(本職以外もいるけど)を楽しんだり、みたいな触れ方も出来るんですけど、一貫したコンセプトを持ったプロジェクト(実際にはプロジェクト内に色の違う複数のグループがある)を国内の多くのコンポーザーが十人十色で作曲、REMIXしてるという凄さ。
私はこれ系の音楽だとFuture Funkを比較的熱心に聴いてるけど、そこが微妙に解釈が違っている感じがある。だから悪いという話でもないけど。
そんなFuture Funk曲のコンポーザーをやってるのがmoe shopとDE DE MOUSE(一応、ハレトキドキもいるけどFuture Funkとちょっと違う感じの曲)。
「サンプリングあってこそのFuture Funk!」とは言わないけど、そういう所もジャンルの構成要素の一部であって、サンプリングベースの曲が今のところ一曲も無いとなると、やはり大きいプロジェクトには版権の問題は少々面倒なのかなと邪推(もしかしたら、バチバチにサンプリングしてるけどそれに気づいてない私が間抜けなだけかもだけど)。
コンスタントにFuture Funk曲があることを考えるとまだまだ界隈のコンポーザーが採用されることもありそうだから、次に来そうなミカヅキBIGWAVEやMACROSS 82-99、Night Tempo辺りに期待。
『image』Maison book girl(2017)
印象的なデビュー作と代表作の3rdに挟まれただけに妙に影の薄さがあるブクガの2nd。
大味なシンセやJPOPロック的なサウンドが主だった当時のシーンの中で、マリンバやピアノなどのメインで使われることの無かったサウンドで性急な変拍子を奏でるという「拡張性」。
内向きな心理描写や死生観、アート的ベクトルのパフォーマンス、ポエトリーリーディングの導入などと言った「実験性」。
アイドル音楽に対して、批判としての語彙で用いられがちなユニゾンやフックのフレーズの多用からくる「再構築」。
これらをキャリア通してやっているのがブクガで、そのバランス感覚の絶妙さという点では2ndが一番。
他のアルバムと比べると、これは!という圧力を持っている曲はあんまり無くて(他のアルバムで言うと、snow ironyとかrooms_とか)、さらにアルバム自体の明確な具体性もそんなに無い。
けど、そういうコンセプティブな体勢から離れたところのフラットさの中に、染み付いた手癖や本質が見えてくる気がする。
タイトルの『image』が画像や写真を表すのか、印象やイメージを表すのかは分からないけど、異なるベクトルを向いた複数体のimageの結晶がこのアルバムになるのかなと思う。
それと、コショージメグミの存在という面でも重要なアルバム。
コショージはこの頃はあんまり歌は上手くなくて(それでもBiS解散時よりも全然成長してる)、だからこそ、そこに宿る魔法が確実にあった。
コショージの歌唱はアクセントの独特さがあり、それがスタッカート的な機能を持っていて、変拍子のトラックのリズムと混ざることで生み出されるリズムの変化。歌が上手くない事で生まれる幼さからくるサクライケンタ的少女幻想。ユニゾンの綺麗さに見失いがちなメンバー全員が異であることを再確認させて、その上で精神的に繋げ直す役割。
そういう微妙なニュアンスの違いが作品ごとにあって、ディスコグラフィの中で最も好みなバランスが今のところこのアルバム。
『Graceful Rage』Harmony Rage(2021)
BandcampでEmoアーティストについて調べてる時に出てきたThe Dailyの「The New Generation of Emo In Eight Releases」という記事に載っていたアルバム。まず初めにEmoであんまり見ないジャケというか、ビジュアルイメージだったので気になった。
オープニングトラックがドラムがドコドコしながらアコースティックギターのアルペジオとチェロが挿入されていたり、M2はEmo的なバンドサウンドにホーンが追加されていたり、ドローンっぽい音が続いて曲がクロスフェードしたり、そういう色んなアプローチがあるオルタナティブ寄りな作風。
メロディの耳馴染みとか、音の使い方みたいな点で日本のロックっぽさが所々にあって、イメージ的にくるりに一番近い気がする。SSWなスタイルもそう。
影響にThe Nationalがあるらしく、そういう点での空間の作り方やサウンドスケープの表現もたしかにThe Nationalっぽい。妙にクラシックロックみたいに感じるところもThe National経由だからかも。
実際、私はエモリバイバルの全容は理解できてないけど、Emo以降の音楽を咀嚼した新しい解釈のこのアルバムがリバイバルの代表作として言われるなら、佇まいがいかにもリバイバル的で良いかもと思ったり。名盤とは断言しきれないけど、Emo云々を無視して誰でもフラットに聴ける佳作かも。
『Wanna Dance』ExWHYZ(2022)
今年聴いたアイドルソングの中でも群を抜いた完成度、ソリッドさで8月のリリースからかなり聴いたこの曲。デビューシングルに大沢伸一を起用するという分かりやすい気合いの入り方、嫌いじゃない。
そもそもプロジェクトととして明確な方向性が決まりきってないと大沢伸一なんて呼べないだろうし、コンセプトの作り方の上手さみたいなものが流石WACKといった具合。
MVは山田健人で、WACKグループの監督を何件もやってるということもありの起用だと思うけど、これもプロジェクトと製作の意思疎通がしっかり取れていてる感じがして素晴らしい。
で、MVの感じとか大沢伸一とかで分かる通り、Y2Kを意識してる。でも、そこに古臭さみたいな感覚は無くて、それこそがY2Kらしさのかな、と。
この曲に関しては別の機会にちゃんと考えたいし、書きたい気分。
あんまり関係ないけど、MONDO GROSSOはそろそろAcid JazzとかProgressive House一色なアルバムを出してほしい。好きなアルバムが『Next Wave』なので。
『Tied Down』Negative Approach(1983)
言わずと知れたデトロイトハードコアの大名盤。定期的に聴きたくなっちゃう。もはやあえて書く必要もないくらいの知名度と凄さだけど、一応。
20分にも満たないアルバムの中には、疾走するブルータルビートで占められていて、どこを切り取っても突き抜ける突破力がある。ハードコアアルバムでありがちな全ての曲でアップテンポな訳ではなく、エネルギーを保ったまま遅い曲や速い曲が繰り広げられ、アルバムを通して圧倒的なダイナミズムを持っていることもあり、このアルバム自体が元祖パワー・ヴァイオレンス。
が、直系といえるようなのちのオルタナティブへの影響がそこまで明確に見えてこないということもあり、ハードコアヘッズ以外から名前を聞くことがそんなに無いのがもったいない。
歌詞が社会批判に見せかけた自省や自己批判だったりするので、そういう意味ではEmo文脈でイアン・マッケイと並べて重要と言えなくもないかもしれない。
以上、音楽視聴履歴でした。
こうやって書いてみると音楽を聴いていても脳内メモでは箇条書きしか残っていなくて、何が言いたいのか自分でもわからなくなっちゃうので、言語化の作業は大事だなとおもいました。
飽きないで続けられるようにがんばります。