今日、考えていたこと。vol.6「破滅の美学」

最近、よく知らない番号から携帯電話に着信が入る。

もちろん、私はその着信には出ずにその番号を検索して、何者かを判別しているのだけれど、大体、かけてくる理由が理解できる相手だったりしてる。

だからと言って、かけ直すわけではないけど。

 

基本的に私は、自分自身を胡散臭い人間だと思っていて、他人からの信用に値する部分は平均的に見て下の方だと感じている。むしろ、そういう胡散臭い人間だからこそ、ヒトに対して疑心暗鬼になっている部分なのだと思う。

 

私がTwitterで何かしらのツイートするとき。

それは、5割くらいは音楽の話な気がしていて、でも、私は音楽の含蓄はそんなにない。

プロアマ問わず、音楽活動をしたこともないし、これまでピアノ、クラリネット、ギターを触ってきたけど、誰も三流止まりだったので、おそらく生まれ持った芸術センスも無い。

あげくに、耳も悪いので散々。

 

で、そんな人間なのにしょっちゅう色んな音楽に手当たり次第に手垢を付け放題し、持論を展開する娯楽に勤しんでいるわけで、果たして、私の拙文はどの程度の信頼を持って読まれているのだろう...と疑問に思った。

完全に聴き専の人からすれば、何も私の書く文章は普通なのかも知れないけど、プレイヤー側のリスナーからすれば、「何こいつはトンチンカンなことを言ってやがるんだ」と読み取られてしまってもしょうがないのでは?、と。

 

何故その疑問を持つに至ったかと言うと、私はこれまで映像制作や演技、映画を、病気のハツカネズミ程度、齧っていた。アマとセミプロのちょうど間くらいのポジション。

 

そんな私から言わせてもらうと、Twitterで見かける明らかに経験の無さそうヒトの言う「画角は〜」とか、「演出が〜」とかの批評に、やや違和感を持っていたりしてしまう。

ホントにそれ、分かって言ってる...?、それの意味って理解してる...?、みたいに。私はも分かってないんですけど。

この思考自体、かなりウザいモノだし、「こっちが好き勝手楽しんでるんだからほっとけ!」っていう話なんだろうけど。

 

話を戻すと、私にそういう思考回路が備わってしまったために、もしかしたらド素人の私の音楽トークは他の人にとって、愚にもつかない内容の的外れたことばかり言ってる批評家崩れだと思われているのではないかと疑ってしまっている。

 

つまり、何が言いたかったのか。

そうだな。

みんな、互いに高めていこう。

 

最後に、syrup16gのニセモノの1フレーズでお別れです。

結局俺はニセモノなんだ 見せ物の不感症
拾った想い吐き出して 愛されたいの まだ